廣瀬陽子さん
トークイベントレポート

2022年9月18日(日)
渋谷ユーロスペース

今、ロシアとウクライナが激しい戦闘を日々行っていますが、それに繋がる話として『オルガの翼』は非常に大きな意味合いを持っていると思います。この映画は2014年に起きた、いわゆる「ユーロマイダン革命」が背景にあり、それに伴って生まれた物語を映画化していますが、そもそも2013年から2014年にかけて何が起きたのか、そしてその問題が今にどう繋がっているのかということをお話ししていきたいと思います。

ユーロマイダン革命

ユーロマイダン革命は、2013年の秋頃から生じて来ました。その頃ウクライナ国内はほぼ二分されており、いわゆる親ロシア派と親欧米派に分かれて今後の命運を考えていくといったタイミングでした。そして2013年11月、ウクライナはヨーロッパとやっていくのか、ロシアとやっていくのかを突きつけられます。その際に、ヨーロッパではなくロシアとの流れを選んだのが、当時の大統領であったヤヌコーヴィチです。それに反対した国民がキーウの中心にある自由広場に集まり、夜営などをして連日反対デモを始めたというのがこの革命のきっかけです。革命には欧米の支援がかなりあり、実際にだんだんとヒートアップしていきます。年が明けて2014年の2月頃になると、今度は二つの派に分かれて銃撃戦、ほとんど内戦のような状況になってしまい、相当な死者数が出ました。ヤヌコーヴィチはもはや自分はウクライナにいられないと観念し、ロシアに亡命します。これをもってして、親ロ派を追い出した、という形で終結をみたこの流れを「ユーロマイダン革命」というわけです。

それからのウクライナはほぼ親欧米路線ということで集中していくわけですが、そこでロシアが動き出します。色々な誤解もあるのですが、少なくともユーロマイダン革命については、アメリカの関与があったことが明らかになっています。ロシアはほぼ関与していないと言っていいです。しかもロシアとしては、恐らくその時期にウクライナで革命が起きるということは、全く望んでいなかった展開なんですね。当時はちょうどロシアが自国でソチ・オリンピックを開催していた時期です。オリンピックの時にまさに隣国、ロシアからすれば「同じ国」の中で争乱が起きるというのは望ましくない展開だったわけです。ユーロマイダン革命の段階でロシアが関与していた可能性は極めて低いと思います。やはりプーチンにとっては、盟友だったヤヌコーヴィチがウクライナから追放される、そして今後のウクライナの流れは確実に親欧米になるだろう、というところで、黙っていられないというところがありました。そしてすぐに起きたのがクリミア併合だったわけです。

クリミア併合

クリミア併合はいわゆる「ハイブリッド戦争」と言われます。ハイブリッド戦争とは、「非正規的な戦争と正規的な戦争を組み合わせた、新しい戦争の形」ですが、まさにそのハイブリッド戦争を展開する形で、クリミアをあっという間に併合してしまいました。正式にロシアに併合されたのは3月18日になりますが、2月末から本当にあっという間だったのです。クリミア併合に際しては、今年初めのロシア軍によるウクライナ侵攻のように、ロシア兵がウクライナの周りに集結しました。その後ロシアの特殊部隊がクリミアに入り、脅しをかけながら住民投票などを行い、住民にウクライナからの離脱と独立、ソ連への統合を求めるという流れを作り出しました。この流れをもってして、ロシアが独立したクリミアを承認する、かつ承認した上で、「依頼があったので、併合します」という形で、全く違反だらけなんですけれども、一応の国際法的な偽装をして、ロシアにクリミアを編入しました。

ドネツク州・ルハンシク州の争乱とミンスク合意

更にその後、ウクライナ東部の危機が続きます。クリミアを併合した直後から、今度はウクライナ東部のドネツク、ルハンシクという、現在の戦争でもキーとなっているふたつの州で混乱が始まります。そもそもウクライナの東部と南部はロシア語話者が多い地域です。注意したいのはロシア語話者だからと言って親ロシア派とは限らないということです。ロシア語を話す人であっても、親ウクライナという人はたくさんいますけれども、他方でロシア語話者の中に親ロシア派が多いというのも事実です。ロシアは、ウクライナ東部の親ロシア派を利用する形で、今度はウクライナ東部に争乱を起こさせました。

当時ウクライナには暫定政権が出来ていました。ヤヌコーヴィチを追い出してしまったので、大統領選挙をするまでは、アメリカも認めていたヤツェニュクという人が中心となって暫定政権を率いていました。大統領選挙でポロシェンコが選ばれるまでは、暫定政権だったわけですが、ロシアは、ウクライナ暫定政権の正統性を絶対に認めないとして全く交渉などには応じてこなかった。一方、暫定政権はウクライナ東部の騒乱を「過激派の動き」と見ました。そこがまず第一の失敗だったと思います。東部の人々を、ウクライナの国民として話をした方が良かったと思います。やはりテロリストや過激派などの烙印を押されると、余計に反発して親ロシア派が刺激されてしまったということも事実です。結局のところウクライナ東部の動きもウクライナの内戦に繋がってしまいました。

当初ロシアは静観するような態度で、東部の混乱に関与していたのは、ロシアの一部の愛国者などでした。しかし恐らく8月末頃から、ロシアも本腰を入れてウクライナ東部の流れを支援していこうということになります。当時、ロシアは正規軍を送ることはせず、民間軍事会社やコサックなど、非政府の戦闘員を送り込むような形で支援していました。そのような流れの中で、一応ウクライナ東部の2州については二度、停戦合意が結ばれました。それがいわゆる「ミンスク合意」です。2回あったので「ミンスク1」と「ミンスク2と」言われます。その内容がウクライナには受け入れられない内容でした。

ミンスク合意は、まず停戦、それからウクライナ東部2州が非常に高いレベルの自治を獲得する形でウクライナの中に残る、という内容でした。これは、ウクライナの自由がほぼ奪われることを意味したわけです。ウクライナ東部2州はロシアと結託しているような地域ですので、その二つがウクライナの中で高度な自治を獲得する、ということは、外交もそこに入るわけです。そうなると例えばウクライナがNATOに入りたいと言い、東部2州が「私たちは入りたくない」と言った場合、東部2州はウクライナと同等の権利を持ってしまうので、ウクライナはNATOに入るというアクションが取れなくなります。それが恐らく、ロシアがウクライナを操作する上で、一番安価で国際的な批判もより少なく済む方法だった訳です。しかしそもそもウクライナとしては、一応ミンスク合意には合意したものの、やはりウクライナ東部に高い自治を与えることにはどうしても同意ができなかったんですね。

NATO加盟を強く迫るゼレンスキ―政権の誕生

そうこうする中、2019年にゼレンスキー大統領が選ばれました。ゼレンスキー大統領は元々はコメディアン、役者であり、政治的には完全な素人でしたが、逆に政治色が強くないということが国民の評価を得ました。また彼はずっと、ドラマ「国民の僕(しもべ)」に主演していましたが、このドラマは、普通の教師が大統領になり、庶民的な観点から大統領として成功していくという内容でした。そのイメージと重なる形でゼレンスキーが当選していったわけです。ゼレンスキーとしては、早期にプーチンと会談しウクライナ東部の問題を解決していくことを念頭に置いていました。クリミアについては言及しておらず、まずウクライナ東部の問題の解決というところで動いていたようです。しかし、ロシアとしては何としてもまずミンスク合意を飲ませたかった。

他方で、ゼレンスキーの親欧米派的な動きが段々強くなっていきます。特にその動きが強くなったのは、昨年アメリカにおけるバイデン政権の成立です。ゼレンスキーは急にバイデンに強力なアプローチをするようになり、「いつになったらウクライナのNATO入りを認めてくれるのか」とかなり強く迫っていくことになります。

恐らく、ウクライナがNATOに入りたいと言ったところでNATO加盟には10年や20年という長い期間がかかると言われていました。ですので、それをロシアがNATOの拡大ということで反対する理由というのはほとんどなかった訳ですけれども、それを大義名分にして、色んな問題をロシアは欧米に突き付けていきます。特に、NATOに拡大しないでほしいであるとか、ロシアのお膝元であるような旧ソ連諸国に対して武器の供与、戦闘行為の補助、訓練などもしないでほしいということを、昨年の12月にアメリカに対しては8条から成る、NATOに対しては9条から成る提案書として提出しました。しかし、プーチンとしてはそれに満足のいく回答が得られなかったということで、今年の侵攻に繋がってしまったと言えます。

現在に至るきっかけとしてのユーロマイダン革命

ユーロマイダン革命は、現在に至る道の最初の一歩であったと言えます。この革命がなければ、クリミア併合が起きたかどうかは相当疑問です。またこの革命が無ければ、未だにウクライナは二分されており、親ロシア派と親欧米派が拮抗し、どちらかというとロシアの影響が強く残るような地域としてあっただろうと思います。映画からもご理解いただけるように、ユーロマイダン革命そのものがウクライナ人に与えた痛みも相当ありましたが、それがなかったら今のウクライナもなかったと思います。

ウクライナ人は元々ロシア人と近い民族で、ロシア人もウクライナ人も東スラブ系の民族と位置付けられています。「民族的同朋」と考える向きもあります。まさにプーチンが言っているのはそこで、「民族的同朋でありウクライナはそもそも国家の資格を持たないのに、国家でいること自体がおかしい。だからロシアに戻ってきてほしい」と言っているのです。特にそのプーチンのウクライナ観で重要になってくるのがこの2014年頃なんですね。2014年のユーロマイダン革命をもってして、プーチンの言葉を借りれば、「ウクライナは向こう側に行ってしまった」、つまり「欧米側の陣営に入ってしまった」と。プーチンは、「本来ウクライナはロシアの一部であるはずなのに向こう側に行ってしまった。彼らはいい人たちであったが、欧米の影響下にあるウクライナ人は悪いウクライナ人であり、ナチスである。悪いウクライナ人は成敗するべきだ」というな論から今回の侵攻を正当化しています。そしてロシアでも少なからず、かなりの人がプーチンのやり方、考え方、そしてこの軍事行動に賛成の気持ちを持っているという現実があります。

「ウクライナ人」アイデンティティの土台となったユーロマイダン革命

ロシアはウクライナを自分たちと一体として見ているわけですが、ウクライナ人は逆です。確かに2014年のユーロマイダン革命まで、ウクライナはかなり二分されていました。欧米に近い西側、歴史的に見ればポーランド、リトアニア大公国の一部にあったようなエリアですね。そして東部、ロシア語話者が多くロシアとも近接しており非常にロシアの影響を強く受けている地域。この二つに大まかに分かれていました。例えば選挙結果などを見ても、大統領候補として親ロシア派と親欧米派が出ると、選挙結果がきっぱり東西で別れるという状況がありました。ただ2014年にロシアがクリミアを併合して東部で混乱を起こすと、これまで新ロシア派としてみなされていたウクライナ東部の人びとも相当ウクライナに考えが寄っていくようになっていきます。

ウクライナ人も、かつてはもっとロシアに対するシンパシーがあった可能性が高いのですが、「自分たちはロシアともロシア人とも違う。ウクライナ人として確固たるアイデンティティを持っているし、全く違う民族なので我々と一緒にしないでほしい」という言い方をします。この「一緒にしないでほしい」という気持ちの大きな部分が、ユーロマイダン革命を成功させたという自負にあります。ユーロマイダン革命は非常に多くの犠牲者を出しましたが、「自分たちの血を流してまで親欧米という政治の形を勝ち取ったのだ」、ということに自分たちの誇りを感じているんですね。「自分たちは自分の血と引き換えにきちんとした政治体制を選んだ、でもロシア人にそんな勇気はないでしょう?」と。つまり、「プーチンに歯向かって血を流す勇気はないでしょう?そういう人たちとウクライナ人を一緒にしないでほしい」というのが今のウクライナ人の考え方なんですね。現在の戦争を支えているウクライナ人のマインドというのも、2014年に培われたと考えてよいのではないかと思います。

今の戦争は、本当に終わりが見えません。ウクライナとしては、戦争をやめることは国家がなくなることを意味しますので絶対にやめられないですし、戦争を始めたプーチンも、こんな中途半端なところで引き下がることは出来ないと考えています。今でも、東部2州を確保して独立させること、そして当然ながらクリミアを維持するということもセットで最低限なされないとこの戦争は終われないという意識を持っています。そのなかで世界は、ウクライナを守る、つまりロシアの力による現状変更には断固として厳しい態度で立ち向かう、ということで完全に一致しています。これほどまでに世界が一致することも、史上類を見ないことです。そこに我々も非常に小さな期待を持っています。このように世界が一丸となっている状況は、専制国家が中心となる世界秩序に反発し、現在の様々な世界秩序の問題に対抗する上での、唯一の期待できる要素ではないかと思います。

『オルガの翼』から考えられること

『オルガの翼』は他の重要な問題も見せてくれていると思います。オルガはウクライナを出なければならなくなり、ウクライナの選手としてのステータスを捨てなければならなくなりましたが、今、同じ問題がロシアやベラルーシのスポーツ選手や音楽家に降りかかっています。もちろん、今回の戦争はロシア、プーチン大統領が完全に悪いわけですが、今ヨーロッパでは「プーチンを放置しているロシア人も悪い」ということで、ロシア人に対しても成敗するような雰囲気があります。例えば、ロシア人の観光旅行は許さないということで観光ビザを制限していくとか。一般人に対する対抗措置も既にヨーロッパでは出されていますが、やはりロシア人の中にも、この戦争やプーチンに反対する人も多いんですね。そういう人たちを十把一絡げに「ロシア人は悪い」としてしまうと、ロシア人の中で嫌な思いが蓄積されていく。「やっぱり欧米は、プーチンが言っているように我々をいじめるんだ」ということが民族の記憶として残ってしまうと、プーチンのような反欧米で、強い指導者が再生産されてしまう可能性が非常に高いです。ロシア人を追い込んではいけないと思います。この問題はかなり議論が分かれるところですが、私自身は、一般のロシア人には罪がないと思います。今ロシアやベラルーシの選手は、国外の選手権や音楽コンクール等には国家の旗を背負って出ることは一切できない状況になっていますが、この問題については柔軟な考え方をしていく必要があると思います。

一つ言えることは、色々な問題が積み重なって爆発したのが、今の状況だということです。ロシアによる軍事侵攻があり、欧米がウクライナを支えながらも勝たせすぎてはいけないということで、最高レベルの支援ができないという形で、様々な混乱や温度差があったりもします。こうした様々な問題は、積み重なれば重なるほど大きな形で爆発します。小さな問題も放置せず、一つ一つ解決していかなければ、この問題の本当の解決は生まれないと思います。戦争自体、今非常に長引きそうな様子を示しており、非常に胸が痛みますが、我々としてはもう少し冷静に、一歩引いたところで何が問題なのか、問題をすべて洗い出して、一つ一つ解決していかなければ、この戦争は永遠に続いてしまうのではないかと思います。

改めてこの作品は、そういった問題を考えさせてくれる大きなヒントを与えていると思います。皆さんご覧になって様々な感想お持ちだと思いますけれども、今後のウクライナ、ロシア問題、ひいては世界の平和を考える上で、色々と考える一つの材料としてこれからも度々、思い出していただければと思います。ご清聴ありがとうございました。

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