寺﨑秀臣さんトークイベントレポート

2023年4月1日(土)アップリンク吉祥寺にて

『屋根の上のバイオリン弾き』の製作の裏側に密着したドキュメントがこのタイミングで公開されることに本当にびっくりしました。改めて作品が僕自身に大きな影響を与えたんだということを再認識させてもらう貴重な時間だったと思います。皆さんもご存じと思いますが、本作で主役のデヴィエを演られていたトポルさんがお亡くなりになりました。そういう意味では『屋根の上のバイオリン弾き物語』が、僕自身にとっても、不思議な縁を感じる、そういう作品だったと思います。特に『屋根の上のバイオリン弾き』という作品に関して、僕はミュージカル、舞台に携わっている人間なので、そういった部分を中心にお話できればと思います。

なぜ“Fiddler on the Roof”なのか?

『屋根の上のバイオリン弾き物語』、英語では“Fiddler on the Roof”。「バイオリニスト」ではなくて「Fiddler」なんですよね。なぜFiddlerと言うんだろう、と僕も『屋根の上のバイオリン弾き』に最初に携わった際に思い調べてみました。映画にも舞台にも、作品の舞台のアナテフカに住むユダヤ人、特にテヴィエの幻想としてバイオリニストが出てきます。バイオリンってナイロン弦なので、普段屋内で特にシンフォニーとかだと、一本じゃなくてたくさんの数で演奏してやっと聞こえてくるという楽器ですよね。そういうものだと表に出て弾くとそんなに音が鳴らないので、そこに鉄の弦を張って弾くと。そのことを“fiddle”って言って、それを弾く人を“Fiddler”と言う。だから、“Fiddler on the Roof”というタイトルになったんだと僕自身は理解しています。

ノーマン・ジュイソン監督の挑戦

映画の中にノーマン・ジュイソン監督が出てきますけれども、彼の挑戦はとても大変だったと思います。『屋根の上のバイオリン弾き』がブロードウェイで公開されたのが1965年で、それを振付・演出をしたジェローム・ロビンス、製作したハロルド・プリンス、作曲をしたジェリー・ボック、作詞のシェルドン・ハーニックもみんなユダヤ人なんですよね。ユダヤ人がユダヤのミュージカルを作っていたんですよ。ところがこの映画にも出てきましたけれども、ノーマン・ジュイソンはユダヤ人ではないと。自分のことを「ゴイ」(※ヘブライ語で「非ユダヤ人」を意味する)という言い方をしていましたよね。そういう人が、ユダヤ人の映画を作る。作品自体は1905年の話なんですよね。1905年に第一次ロシア革命というのが起こるんですけれども、その直前と直後を描いた作品です。それをユダヤ人でない人が作るというのは非常に冒険だったと思います。僕自身も『屋根の上のバイオリン弾き』を演出しなさいと言われた時に、「いや日本人だし。ユダヤ教のこと全く知らないし」と思いました。舞台『屋根の上のバイオリン弾き』は、西田敏行さんが森繁久彌さんの後を継いで1994年に再演が始まりましたけれども、僕は演出部に就いて、なんて素敵な話だろうと思っていたんですけれども、ユダヤ教のことはほとんどわからなかったです。ただ父と娘の話、それからコミュニティが迫害に遭い、村を出ていかなければならないという悲劇の話というくらいの感覚でしたが、自分自身が「演出しなさい」と言われた時に、やはり何がもとになってどういうことになっているのかを調べないと演出なんかとてもできないと思い、ユダヤ教の勉強をしました。色々とリサーチする中で、「この作品はユダヤ教というものになんと大きな影響を受けている作品なんだ」と改めて気づきました。ですので、話は戻りますけれども、ノーマン・ジュイソン監督が映画化の依頼を受けた時、相当大変な思いをされたんだと思います。

舞台はジェローム・ロビンスが最初にビジュアル化し、ボリス・アロンソンの舞台装置でやりました。マルク・シャガールもユダヤ人で、様々な、いわゆるユダヤ人たちの村人の生活をたくさん絵に残して、そこからインスパイアされて『屋根の上のバイオリン弾き』という作品が出来上がっています。ボリス・アロンソンの舞台装置もオリジナルの演出ではすべてのシーンに絵のようなドロップが描いてあって、そこにちょっとデフォルメされた装置があり、衣裳も少しデフォルメされた色合いのものを着た人たちが出てきて物語を語っていく。ですからどの場面を切り取っても、まさに絵画になるような形で作られていました。

ところがこれを映画化しましょうとなると、当然もっともっとリアリズムを追及して、本当に1905年のウクライナ地方に住んでいたユダヤ人はどういう生活をしていたのか、ということを克明に嘘なく描いていかなきゃいけないということは、ものすごく大変だっただろうなと思います。僕たち舞台の人間からしてみると、そういう意味では映画『屋根の上のバイオリン弾き』は本当にもうすごく参考になる映画で、毎回再演あることに僕は見返しますし、それから、新たに入るキャストの皆さんには「ぜひ見てください。これを見ることでこの作品の世界観が本当によくわかります」と言って、資料としても使わせていただいています。

このように「栄光」を謳ったスローガン自体を疑問視する意見が少なからずありながらも、こうした人々もマイダンに引きつける力がこの革命にはありました。すべては悪の権化であるヤヌコーヴィチを倒すため、ウクライナ人皆が一致団結していたのだと言えます。

舞台版と映画版の違い

僕が演出を任されて、色々なシーンをもう一度細かく細かく見返したときに、「あれ、映画と舞台で全然違う!」と思ったところが実は2ヶ所あります。1つは、テヴィエは酪農家を営んでいるんですね。牛を飼っていて、その牛の乳を搾って、チーズを作ったりミルクを売ったりしている。チーズを庭先に干しているシーンが舞台にも出てくるんですね。映画にも本当にチラッとだけですが映るんです。舞台の小道具は、ブロードウェイでやったものをそのまま真似をするというか、コピーした状態で使っていたんです。舞台でテヴィエがチーズを取り出し、放浪してきた学生のパーチックに与える場面がありますけれども、そのチーズは、吊るす紐があって人参みたいな形をしているんですね。要するに、先っぽが細くてだんだん太くなっていって、吊るす紐がついている。舞台ではそれをひっかけるわけです。ところが映画だとその形がひっくり返って軒下に引っかかっているんです。これはなんでなんだろうと、僕は毎回疑問に思って謎を解こうと思うんですけど、全く答えが出てこないのですが、おそらくノーマン・ジュイソン監督はちゃんとリサーチした上でそのようにしているのだと思います。もしかしたら映画の方が正しいのかもしれませんが、舞台版はなぜか先が細い方が下になっている。これぜひ、今度映画『屋根の上のバイオリン弾き』で見てみてください。

もう一つ大きなことは、結婚式のシーンです。このドキュメンタリー映画ではオープニングと後半のシーンにも出てきますが、僕もユダヤ教を調べたのですが、結婚式で男性と女性が並びます。長女のツァイテルとそのお相手のモーテルですね。映画版では、いわゆる元々のジューイッシュたちが本当にやっている習慣がちゃんと踏襲されて、皆さんにとって女性が左側。右側が男性というふうに並んでいます。ところが舞台ではそれが逆なんですね。左側にモーテルがいて右側にツァイテルがいる。ツァイテル側にはお母さん、村人の女性たち。モーテル側には男性たちが並び、そして有名な「サンライズ・サンセット」が歌われます。これがなぜひっくり返っているのかというのも謎なんですね。ユダヤ教の本を見ると、やっぱり逆なんです。女性が皆さんにとって左側、男性が右側にいる。この違いは何度考えても答えが出なくて、ジェローム・ロビンスがそうしたかったのかな、ということくらいしか答えがないんですけどね。もちろん、映画は舞台をもとに描かれているのですが、やはりノーマン・ジュイソン監督が単純に舞台を映画化したということではなく、もっともっと人とのコミュニティ、生活というものを突き詰めた上で作り上げたのが映画版なんだな、と改めて感じます。

お客さんと共にある舞台~
“コンパクト”にするための努力

『屋根の上のバイオリン弾き物語』は、88分と少しコンパクトに作られていますけれども、映画『屋根の上のバイオリン弾き』は179分もあります。ほぼ3時間。ところが舞台は、かつて森繁久彌さん主演の頃は4時間くらいありました。やっぱり舞台ってお客さんと交流しながら進めていくものですから、お客さんが笑ったり泣いたりすると、演者はもっと泣かせよう、もっと笑わせようと欲が出てきてアドリブが増えていくんですね。森繁さんが最盛期の頃は、4時間を超えるくらいの作品になっていたそうです。それが1994年に西田敏行さんが引き継いだ時、(2代目は上條恒彦、西田さんは3代目)みんなで「4時間超えはさすがにつらいよね」という話になり3時間40分位にまで短くしました。20分しか短くなってないんですけど、「なんとか3時間30分くらいにしようよ!」と頑張りました。それでも、西田敏行さんもやはりどちらかというと、お客さんと舞台を作ってどんどんセリフが増えていくタイプの人で、結局僕たちが目指した3時間30分には収まりきらず、3時間45分くらいまで伸びてしまいました。

それから少し時間が経ち、今僕が担当しているのが、市村正親さんがテヴィエを演られている、2004年に始まった『屋根の上のバイオリン弾き』で、これは西田版までは帝劇でやっていたんですね。すごく大きな空間で、大人数で、演者が多分50人近くいたと思います。そのくらい大規模でやっていたミュージカルだったんですけど、僕が担当させてもらったときは、「コンパクトにしよう。日本全国に持って行けるくらい、なるべくミニマムな形でやりませんか?」と会社の方から言われ、最終的に34~5名くらい人数を減らして、オーケストラの数も減らして時間もとにかくタイトにしようと。やっぱり今の人は3時間を超えたらとてもじゃないけど保たない、なんとか3時間を切るようにやりましょうということで、市村さんたちと苦労に苦労を重ね、色々なシーンをコンパクトにまとめてやっているのが、いわゆる<新演出版>と言われる今の『屋根の上のバイオリン弾き』の形です。

2017年に50周年記念で公演をして、その後2020年のコロナ真っ只中に再演がありました。その時は本当に大変だったんですよね。リモートで稽古をやったりとか、稽古場にはやっぱり大人数は入れないので、本当に限られた人だけが入って、マスクをして換気をしてという形で、劇場にもお客さんを半分しか入れない状態でやっていた、というのがあります。そういう意味ではやっと、今日もマスクを外して皆さんに語りかけられるような状況になってきています。

時代を越えて愛されるミュージカルの根幹にあるもの

今後もきっと『屋根の上のバイオリン弾き』は再演されていくでしょう。僕自身もずっとこの作品を演出していますが、もっともっと違う形で、姿を変えて色々な演出でやれる、そういう可能性を持っている作品だと思います。2004年、デヴィッド・ルヴォー(David Leveaux)という、日本にもかなり深く関わっていらっしゃる演出家の方が、アルフレッド・モリーナ(Alfred Molina)という俳優をテヴィエ役に迎えて『屋根の上のバイオリン弾き』をやりました。この公演はちょうど僕が演出する前だったので、ブロードウェイまで見に行きました。素晴らしい作品でした。全体的にブルーを基調にして、正面に大きな月があり、舞台奥に本当の白樺が植えてあり、奥にオーケストラがいて、テヴィエのためのセットなんてほとんどなくて、椅子と箱だけでやるみたいな。かなり前衛的な面白い作品でしたが、残念ながら、お客さんが入らず不評で、1年くらいでクローズしてしまったんですね。なんでなんだろうと思ったら、さっきノーマン・ジュイソン監督の話でもありましたけど、デヴィッド・ルヴォーはユダヤ人じゃない。元々『屋根の上のバイオリン弾き』自体がユダヤ人色のすごく濃い作品で、作っている人もユダヤ人、内容もユダヤのことを描いているので、ニューヨークに住むユダヤ人のコミュニティが認めるか認めないということがすごく大きかったみたいですね。

デヴィッド・ルヴォーの演出は、どちらかというと本当にロシアの文学のような、チェーホフの作品のような、すごくすっきりしたものだったので、アメリカに住むユダヤ人たちはあまり好きになれなかった、という話を聞きました。その後2015年にリバイバル上演があり、バートレット・シャー(Bartlett Sher)がブロードウェイで演出をしました。日本の俳優の渡辺謙さんが彼の演出で『王様と私』をやっています。彼の演出版はすごくヒットしました。僕も見に行きましたがやっぱりユダヤ色の濃い、お客さんもみんな髭を生やして帽子をかぶって、純ユダヤの人たちがたくさん見に来ていた作品でした。

先ほどイーディッシュ語という言葉がドキュメンタリーの中に出てきました。東欧のユダヤの人たちが使う言葉ですが、イーディッシュ語で上演する『屋根の上のバイオリン弾き』がブロードウェイで上演されたり、色々な形で本当に何度も何度も再演をされて、時代を超えて愛されている作品なんだなと思います。その根幹にあるのは、僕も『屋根の上のバイオリン弾き物語』に対してコメントを書かせていただいたんですけれども、最初にジェローム・ロビンスがこの作品を作る時に、日本のパンフレットに寄せた言葉の中にあった、「失われていくものに対する我々が残していかなきゃいけないという使命」というか。

日本にもかつてテヴィエ一家のような家父長制度があり、お父さんが一番強くて、お母さんがいて子供たちがいて、そこで本当に膝を寄せ合って、貧しいながらも楽しい暮らしをやっていたという時代がありました。それがどんどん失われていって、それぞれの人生、ひとりひとりの人生を尊重するようになっていった。でも、僕たちの中には未だにサザエさんの中にあるような、ああいう原風景をいまだに求めていて、時代というものがそういうものを飲み込んでいく。それから、テヴィエの三人の娘がそれぞれのしきたりを貧富の差や思想を乗り越えて結婚し、三女に至っては、宗教の差を越えて結婚してしまう。そこに身を引き裂かれる思いで父親がその結婚を最終的には許すという、このファミリーの物語。それからそのファミリーを巻き込むコミュニティがその地を奪われて去っていかなければいけないという物語。日本にも、未だに東北大震災の傷跡であったり、毎年のように災害というものがあって、コミュニティというものが崩壊をしていく姿がニュースにあって、そういうものへのノスタルジーというか、そこにやっぱりこの作品の魂というものが含まれているので、みんながずっとこの作品を愛し続けてくれるんじゃないかなというふうに思います。ぜひまたこの作品を見返していただいて、よければ舞台の方も見に来ていただいてくださると僕も嬉しいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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