トークイベントレポート

『映画はアリスから始まった』
石坂健治さんトークイベントレポート

2022年8月6日(土)アップリンク吉祥寺

「私は銀幕のアリス」を併せて読むと面白い 

アリス・ギイを知ったのはそんなに前のことではないですが、2001年に出た自叙伝「私は銀幕のアリス」(翻訳:松岡葉子/発行:パンドラ、発売:現代書館)を読んでいたので、この『映画はアリスから始まった』を観たときにいろいろ繋がって面白かったです。皆さん、映画と併せてお読みになると二倍三倍面白いですよ。学生時代の思い出ですが、特に映画の勉強をしていると映画史の本を読むわけです。大学院の入試や、大学の試験、レポートとか、例えば「1910年代の映画について述べよ」、みたいなのが入試で出るわけです。当時参考にしたのは今の映画でも出てきた、ジョルジュ・サドゥールの「世界映画全史」。翻訳も出ています。12巻ぐらいでものすごいボリューム。それでも映画史の半分、無声映画時代くらいで終わっている。まずはサドゥールの映画史、それからジャン・ミトリという映画理論家も、ちょっと出てきました。この人の本とか、彼らのアリスに関する記述は、いまでは訂正をしなければいけなくなっている、という話でした。かつて一所懸命読んでいた定番の映画史といえども、もう鵜呑みにはできないのだと感じました。映画史というのは他の芸術のジャンルに比べれば短くて100年ちょっとなのですが、その歴史を記述するには何を参考にして書くか。それ以前にあった言説というか文字資料を基準にして書いていくわけで、その資料が間違っていると、どんどんそれが伝わっていってしまう。

映画史は動いていくだろう

映画史は歴史が浅い分、存命者によるオーラル・ヒストリーというか、語られる言葉がこの映画にもいっぱい出てきますけども、あるいはアリス本人の発言によって訂正されていくみたいなダイナミズムがある。文字から文字へ、だけではなく立体的に歴史をたどっていかないといけない、と思った次第です。たぶん映画史の本の間違いはアリスに関することだけではなくて、いろいろあるはずでしょう。今後、映画史はどんどん動いていくものだと思います。一点だけ私の専門に引きつけていうと、サドゥールのぶ厚い世界映画史には、非欧米圏の映画の部分が少なくて、日本映画はそれでも良い方で、その他のアジア諸国あるいは中東とかアフリカに関してはその国の代表一人とか、簡便な記述になっているので、そういうところがこれから動いていくだろうと思います。映画史の通史、ある国の映画の始まりから現在までを書くというのは大変な仕事で、日本でも日本映画史の通史を書いた人は歴代でも四人か五人です。一番新しいところでは、3月に亡くなった佐藤忠男さんが大部の日本映画史、通史を書いています。それから新書版で四方田犬彦さんが通史を10年ごとに更新しています。日本映画史の通史も今後動いていくだろう、と思います。

言いたいことが三点あり

今日は三つぐらい言いたいことがあります。その一が今ご覧になったドキュメンタリー映画『映画はアリスから始まった』について。その二がアリス・ギイ自身の作品について。三つ目がこの本「私は銀幕のアリス」から感じたこと。『映画はアリスから始まった』を最初に観はじめたとき、私の苦手なスタイルのドキュメンタリーかなと思いました。欧米によくあるタイプ、研究発表型というか、とにかく文献や映像の材料がたくさんあって、結論はだいたい決まっていて、そこに向かっていろんな材料を駆使して構成していく。カットもめまぐるしく変わり、音楽がずっと流れてナレーションが付いている。親切といえば親切なのでしょうが。一方で近年のドキュメンタリーには、ひとりの人物をじーっと見つめるとか、ある組織の中で定点観察するとか、具体的にはフレデリック・ワイズマンや中国のワン・ビン、あるいは原一男とか、そういう非常に個性的な作家のドキュメンタリーがある。そういうものに親しんでいるので、欧米型のモンタージュが次々と襲ってくるようなドキュメンタリーはどうかな、と思って観はじめました。

アリス・ギイの功績に対して皆で背中を押す

途中から、いや待てよ、この映画に関してはこのスタイルがいいんじゃないかなと思いまいした。どういうことかというと、アリス・ギイを復活させる、もっと言えば、背中を押すというか、アリス・ギイの功績に対して、みんなで背中を押す。いろいろな人が出てくるし、一番象徴的なのはリモート会議のような画面が何度も出てきますよね。別にリモート会議ではなくて、関わっている人の顔を全部出したらああいうふうになった。リモート会議的な画面が何度も出てきて、つまり集合的ドキュメンタリーというか、もっと言えば応援ですよね。みんなで応援している。だからあの画面は一種のデモ行進みたいなものでもある。アリスを応援するという意味において、このスタイルは正しいのではないか、と途中で思いました。それぞれのピースの人がまず点として出てきて、繋がっていく。線になって面になり、最終的にアリス・ギイの姿が復活してくるようになっている。遠隔会議、リモート会議は今やポピュラーなものになりましたが、そういう画面を挿入して忘れられた映画人の姿を歴史の彼方から浮き彫りにする。最終的にすごく感動しました。いやいやスタイルありきで、先入観で観てはいけないな、と思いました。研究発表型なのですが、いろいろな人が関わって、親族から始まって広がっていきます。映画の研究者がいたり、映画史の保存をやっている方がいたり、コレクターと称する、コレクターの世界というのは非常に癖の強い人が多くて、あそこだけ掘り下げても、いろいろ出てきそうです。残っていたアリスの映像、活字になっているもの、手紙が出てきて、肝心の作品がなかなか集まらないので、みんなで探そうということになる。最後のほうに畳みかけるように古いフィルムが次々に出てくる。

『キャベツ畑の妖精』は何度観ても幸せな気分になる

この本が出た頃はまだそんなにアリスの映画、フィルムが見つかっていなかった。なかなか観る機会がなかったのですが、だいぶ改善されました。YouTubeに出ているものもあります。アリス・ギイの短編集、1時間弱になるぐらいのプログラムも組めるようになった。アリス自身の状況も、亡くなった後の状況も動いていることが、この作品を観るとよくわかります。アリス・ギイ自身の作品が何本かでてきますよね、『キャベツ畑の妖精』が一番出てきます。リュミエールがいて、メリエスがいて、この映画では二人の間に入る形の結論付けになっていますけれども、確かにぱっと見た感じで非常に発想がユニークだというのは一目瞭然。リュミエールにもないし、メリエスにもない特徴みたいなものが片鱗としては伺えると思います。『キャベツ畑の妖精』は何度観ても幸せな気分になる。なぜ幸せな気分になるのかな?トリックも何にもないですよね。女の人が妖精という設定なので、一応ファンタジックなのですが、多少変わった服装とか被り物とかぐらいで、キャベツを割ると赤ちゃんが出てくるだけのこと。トリックも何もないけれども、感動する。リュミエールの場合は、『列車の到着』とか『工場の出口』。蒸気機関車と工場。フランスは当時の先進国で、こういったものは近代の象徴、当時としては「現代」ですよね。現代の象徴みたいな工場とか蒸気機関車を真っ先に撮る。それからヨーロッパの外の世界へ出ていきます。日本を含む、普通では行けない国へ行って、そこの風景を撮って持ち帰ってみんなで観る。空間を越えて、遠くへ行って撮ってくる。かたやメリエスは、遠いどころか月まで行ってしまう荒唐無稽な『月世界旅行』を作った。

アリスは生活者目線のある個性豊かな映画作家

この二人とアリスの違いというのは、妖精と赤ちゃんとか、エプロン姿の女性とか、乳母車とか、そういうものがたくさん出てきます。生活者の目線というか、そのあたりでやはり先駆者二人に並んで非常に個性のある映画作家で、作り手として非常にユニークだと思いました。彼女の作品を観ながら、自伝の「私は銀幕のアリス」と行ったり来たりすると、非常に面白くて、エピソード満載です。フランス時代、ゴーモンの時代は本当に映画草創期の面白いエピソードの数々が出てきます。トーキーを最初にやろうとして、歌い手さんが歌って画と音を合わせなければいけないので、途中でカメラを止められない。ところが照明の明かりが落ちてしまってその女性歌手が火傷しながら全部歌い切ったとか。それから動物を使うのは今も昔も同じですけど、映画で非常に役に立つ。アメリカ時代のエピソードでは、大蛇を首から巻いて撮ったとか、ライオンやヒョウに近づいて撮ったとか。たけし軍団かダチョウ倶楽部かみたいな話が出てきて面白い。ところがアメリカ時代になると、ヨーロッパとは違う新し物好きの風潮は評価しながら、後半は圧倒的にビジネスの話です。ビジネス、特にトラブルの話。

東海岸とハリウッドの端境期の人

当時はハリウッドが映画の都になっていく直前の時代ですね。東海岸のニュージャージー州で頑張って、その後エジソンの著作権とかいろいろな契約、エジソン的なトラストの窮屈さから逃れて、後にメジャーに発展していく各社がエジソンの手の及ばない西海岸へ移って行って、ハリウッドができていくわけですが、アリスが活躍したのはちょうどそこの端境期です。映画業界が肥大化していく中での契約の問題がでてきて、それはそれで映画流通の歴史という点では貴重な証言だと思いました。フランス時代のような、キャベツ畑で魔法を披露している妖精のように天真爛漫な、何をやってもいいみたいな自由な気風ではなく、もう少しビジネスマンとしての発言になってくるところは、こんなに早く時代は変わるのかと思いつつも、面白いと思いました。ハリウッドが軌道に乗ってくると、最初はアリスの夫が監督した作品の脚本を書いていたロイス・ウェバーという女性が、その後監督になり、ハリウッドではこの人のほうがアリスよりも名前が残り、アメリカ初の女性監督という称号を得て、記録に残り、日本でも、松竹という映画会社ができた頃、「お手本にすべきはロイス・ウェバー」という触れ込みで女性映画人を起用する気運がありました。アリスよりもほんの少し時代が下がってハリウッドに移ってから活躍した方は、そういうふうに名前が残っていった女性監督もいました。いろいろなことが重なって、アリス・ギイの場合は、名前が残るのが難しい状態になった。でもここまで蘇ってきたということは大変貴重な、重要なことではないかと思います。

次は『オルガの翼』に注目!

最後に一言だけ、パンドラさんが次に配給する『オルガの翼』という作品を紹介させてください。ウクライナの2014年の内乱から逃れて、スイスへ行って体操に青春をかけた女性の話ですが、大変素晴らしい映画です。ウクライナ戦争のプレ・ヒストリーでもあり、今の時代にぜひ観るべき映画だと思います。ご注目ください。

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