トークイベントレポート

『映画はアリスから始まった』
上野千鶴子さんトークイベントレポート

2022年7月30日(土)アップリンク吉祥寺

アリス・ギイってご存じでしたか? 映画史に詳しい人は、リュミエールの兄弟くらいは知ってるでしょうが、アリス・ギイは知らなかったでしょうね。わたしも知りませんでした。『映画はアリスから始まった』のパンフレットに書きましたが、アリスに限らず、歴史から消された女性はたくさんいます。文学ではジョルジュ・サンド。ジョルジュは英語でジョージですから、男性名です。男性名で書かないと作品を受け入れてもらえなかった時代がありました。ヴァージニア・ウルフは、「もしシェイクスピアに妹がいたら」と仮定しましたが、もし女の名前で戯曲を書いたら、座付き作者にもなれなかったし、作品を上演してもらえなかったでしょう。アマデウス・モーツァルトには姉がいました。ナンネル・モーツァルトです。彼女は作曲もしていましたが、神童と呼ばれた弟の名前で彼女の作品が流通したということがわかっています。一番女がなりそうにないのが指揮者ですが、ベルリン・フィルにはアントニア・ブリコという女性指揮者がいました。それからノーベル平和賞の創設者に、ベルタ・フォン・ズットナーという女性がいたことは、歴史から消されています。

女がやったことは歴史から消されるばかりか、この映画でご覧になったように、あとで記録が改ざんされることまであります。富と名声がもたらされるようになると、男があとから参入してきて成果を横取りするようになります。アリス・ギイの業績もそうでした。

相次ぐ映画界からの告発

ようやく動きが起きてきているのが、映画界の#MeToo運動です。もともとアメリカで#MeToo運動が起きたきっかけは、ハーヴェイ・ワインスタインという大物プロデューサーのセクハラ疑惑でした。何人も被害者がいました。被害者は抵抗しなかったと言われていますが、セクハラとは、ノーを言えない相手にノーを言えない状況で望まない性的接近をすることですから、そういうことをずっとリピーターでやってきたことがわかって、大物プロデューサーでさえ告発を受けるようになりました。当時日本では映画界や芸能界からはあまり声があがりませんでしたが、最近動きが出てきました。映画界のセクハラ被害が表に出てきました。著名な監督がセクハラで告発を受けていますが、それを聞いても私たちは少しも驚きませんでした。やっぱり、と思いましたから。映画監督というのはワンマンの独裁者で、男女を問わず役者に対して権力をふるい、とりわけ女優を思うようにしてきたと思われてきました。

この中に韓国映画の好きな方はいらっしゃいますか? 亡くなったキム・ギドク監督からセクハラを受けたと女優が告発しました。セクハラは人権侵害ですが、人権侵害をしたキム・ギドクの作品をどうするかということは悩ましいところです。私はキム・ギドクの作品が好きです。性格の良い人が良い作品を作るとは限らず、問題だらけの人が良い作品を作ることもあります。ですから、人権侵害の加害者だからといって、その人の作品をすべて社会から葬っていいかどうかはまた別な問題だと思います。

初めて明らかになる映画界のジェンダー統計

最近、JFP、ジャパニーズ・フィルム・プロジェクトという一般社団法人ができました。HPをごらんになってください。調査の結果、初めて日本映画界のジェンダー統計が出てきました。ジェンダー統計はすごく大事です。データからわかったことは映画界全体の女性監督比率は11%ですが、10億円以上の興行収入をあげた映画に限ると3.1%にすぎません。映画は作るのにものすごく人手もお金もかかります。11%の女性の監督は、低予算のドキュメンタリーに集中しています。

男のなりたい職業のトップスリーの第一位が野球監督、第二位が映画監督、第三位が指揮者だと聞いたことがあります。全部、他人に指揮・命令する立場ばかりです。トップに立って、プレイヤーを駒のように動かす仕事が男の憧れだとしたら、男性には権力の好きな人たちが多いのでしょうか。そういう仕事の一つに映画監督があります。映画監督にはいろいろ伝説があります。気に入らないことがあると物を投げるとか、怒鳴るとか、それに対して周りがご機嫌をとって、アシスタント・ディレクターが奴隷のごとく仕えるとか、そこで女優がどんな扱いを受けるかは、想像に難くありません。そういう男がなりたい権力的な職業に女性が参入しない、しにくい、しても生き残りにくいということが、データを見るとはっきりわかります。

映画監督は女にとって非常にハードルの高い職業ですから、女が監督になるのはなかなか大変です。岩波ホールの支配人、故高野悦子さんは映画監督になりたいと思ったそうですが、女には無理と言われて、諦めて劇場の支配人になったそうです。私のよく知っている女性映画監督に松井久子さんがいらっしゃいます。『ユキエ』や『折り梅』を作った監督です。劇映画を作るのはものすごくお金がかかるので、彼女はその後、ドキュメンタリーに転じました。そして『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』と『不思議なクニの憲法』というドキュメンタリーを作りました。その彼女から相談を受けました。「次の仕事がしたいんだけど、どうしていいかわからないのよ」と言われたので、私は彼女に勧めました。「映画は人手とお金がかかるけど、小説だったら個人プレーでできるわよ」って。彼女はほんとに小説を書いちゃいました。女性はそうやってコストのかからない方向に行く傾向があります。

最近ようやく、女性映画監督が増えてきました。私が最近見たのは『PLAN 75』です。監督は早川千絵という45歳の女性です。主演の倍賞千恵子さんが、圧巻でした。

最新のテクノロジーで掘り起こされたアリス・ギイの功績

アリス・ギイが活躍したのは1910年代です。この映画ができたのは2020年代、およそ100年後です。アリス・ギイが活躍した時代の最新テクノロジーが、映画というテクノロジーです。『映画はアリスから始まった』のグリーン監督が使った最新のテクノロジーがICT(※)です。この100年の間に情報技術革命が起きました。グリーン監督が使ったのは最新のドキュメンタリーの手法です。第一に、画面の切り替わりがものすごい早い。1秒以下でパッパッと変わっていくスピーディーな編集の仕方は最新のドキュメンタリーの共通の傾向です。第二に、摩耗した過去のフィルムを復元するハイテク技術で、100年前のアリス・ギイの作品を最新の技術が掘り起こしました。「あぁ歴史はこうやって伝えられて繋がっていくんだ」という感慨を深く覚えました。そういう手法とかテクニックにもぜひ関心を持ってもらいたいと思います。

アリス・ギイは、自伝を生前に書いています。1954年にはほぼ書き上げられていた回想録は、68年に彼女が死ぬまで出版社が見つからなかったそうです。刊行されたのが死後8年経った76年のことでした。それが2001年に日本語に翻訳されました。その中からアリス・ギイ本人の言葉を皆さん方にご紹介したいと思います。

「私が長年、不思議でならないのが、活動写真の製作者という名声と富を築く絶好の機会が目の前にあるのに、多くの女性がその機会をつかもうとしないことだ。男性より女性のほうが恵まれている才能を存分に発揮できる芸術、より完成度の高い作品をつくることができる芸術は、映画をおいてほかにないというのに。」

最後にもう一箇所引用をしたいと思います。

「女たちが成功に向かって努力する時、その障害となるものは強固な偏見と差別だけである。それはただ、過去数百年にわたって男たちがしてきたというだけで男のものと決めつけられている仕事に、女が挑戦しようとする時生じるものである」。

皆様方、どうぞ第二、第三、第四のアリスになってください。

そういえば突然、思い出しました。中学校の時に、英語の授業で「自分に英語の名前をつけなさい」って言われましたよね。私の名前は「アリス」でした(笑)。

  • ICT:Information and Communication Technology(情報通信技術)の略。通信技術を活用したコミュニケーションのこと。

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