2000年ベルリン国際映画祭最優秀記録映画賞+審査員特別賞/サンフランシスコ国際レズビアン&ゲイ映画祭最優秀記録映画賞/サンダンス映画祭最優秀記録映画監督賞/フィラデルフィア国際ゲイ&レズビアン映画祭審査員賞他多数

かつてドイツで施行されていた同性愛を禁じる<刑法175条>!!なぜ国家によって同性愛は禁止されたのか?

劇場初公開!!『ナチ刑法175条』

監督:ロブ・エプスタイン(『ハーヴェイ・ミルク』)+ジェフリー・フリードマン 
原題:Paragraph 175
米国/1999年/英語・ドイツ語・フランス語/カラー/81分/日本語字幕付き
日本版字幕:川口隆夫 宣伝デザイン:潟見陽 パブリシティ:スリーピン

参考文献
「ピンク・トライアングルの男たち」
(1997年/パンドラ発行/現代書館発売)

2024年3月23日(土)新宿K's cinemaにて上映

公開記念トークイベント決定‼ 新宿K's cinemaにて

イントロダクション

不朽の名作『ハーヴェイ・ミルク』のスタッフが 自由と尊厳を問う傑作ドキュメンタリー!!

『ナチ刑法175条』は、ドイツでかつて施行されていた同性愛者を差別する<刑法175条>により、特にナチ支配下で男性同性愛者が弾圧されていた事実を、6人のゲイとひとりのレズビアンによる証言を通して描いたドキュメンタリー映画である。同法により約10万人が捕まり、1万から1,5万人が強制収容所に送られ、強制労働や医学実験に使われた結果、生存者はおよそ4000人、本作製作時に生存が確認出来たのは僅か10名に満たなかったという。同性愛を理由に逮捕され、いきなり収容所に1年半拘置された者や、中にはナチドイツ占領下のフランスでも収容所に送られた者もいたという。

監督は『ハーヴェイ・ミルク』(1985年アカデミー賞受賞作)のロブ・エプスタインと、同作のスタッフだったジェフリー・フリードマン、ナレーションは自らもゲイであることを公表しているイギリス人俳優、ルパート・エヴェレット。

本作は、2000年ベルリン国際映画祭最優秀記録映画賞を始め多数の映画賞を授与され、日本でも2001年山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門に選出。2023年7月に<刑法175条>を題材にした劇映画『大いなる自由』公開の際に『刑法175条』のタイトルで特別上映されるなど、長く語り継がれている傑作である。なお、今回の公開は新たに開発されたデジタル・リマスター版による上映となる。

作品概要

<刑法175条>条文抜粋 制定:1871年5月15日 施行:1872年1月1日

男性と男性の間で、あるいは人間と動物の間で行われる不自然な性行為は、禁固刑に処される。公民権が剥奪される場合もある。

An unnatural sex act committed between persons of the male sex or by humans with animals is punishable by imprisonment; the loss of civil rights may also be imposed.
(PARAGRAPH 175 German Penal Code, 1871)

ナチ党支配により始まった弾圧

本作が描き出すのは、“黄金の20年代“と呼ばれ、性に寛容であった1920年代から、ナチ党が政権につき男性同性愛者への弾圧が激化され、ナチ党終焉後も自らの経験を“恥”と感じ、長らく語ることさえできなかった人々の姿である。カール・ゴラートは、もう終わったことだと語り、ピエール・ジールは当時について語ることがいかに難しいかと言う。ハインツ・Fは、当時“同性愛者の天国”として知られたベルリンのクラブで踊っていた頃を懐かしそうに振り返る。アルブレヒト・ベッカー、ガッド・ベック、ハインツ・デューマーは、積極的な同性愛者との出会いを経験した。当時は<自然、友情、人間の肉体を讃える>ことを支持する青年運動が盛んだったのである。だが、ヒトラーが権力を握ると状況は一変した。

<再教育>のため強制収容所に
レズビアンは最終的に対象外に

ナチスは男性同性愛者を、“ドイツ国民を堕落させ、弱体化させる危険な病”とみなし、強制収容所における同性愛者に対する方針は<再教育>であり、ユダヤ人でない者の多くがガス室を免れたが、3分の2は死亡。酷い扱いを受け何人かは去勢された。当初レズビアンも対象とするべく検討したが、<一時的で治癒可能な状態>とみなし、最終的には対象から外されたが、多くのレズビアンがドイツを去り、あるいはゲイと結婚した。アネッテ・アイクは本作で証言している唯一のレズビアンである。

ゲイは強制収容所で最下層

強制収容所での聞くに堪えない非人間的で凄惨なゲイ男性への扱い。強制収容所では、ユダヤ人が上着の背中に黄色いダビデの星を、同性愛者はピンクの三角印(ピンク・トライアングル)だった。そして、強制収容所内のヒエラルキーでは最下層がゲイであり、暴行やレイプは当たり前だった、との証言も。

終戦後も、175条で迫害された人々は犯罪者とみなされ、ナチスの犠牲者として法的な承認を受けた者は長らくいなかった。本作におけるクラウス・ミュラーによるナチス・ドイツ下での同性愛者の扱いに関する調査結果は、ワシントンD.C.にあるアメリカ・ホロコースト記念博物館の常設展示の一部となっている。

登場人物

証言者

  • カール・ゴラート Karl Gorath
    1912年―2003年

    1912年、ドイツ北部の町、バート・ツヴィッシェンアーン生まれ。看護師見習いとして働いていた26歳の時、別れた恋人に密告されてナチに逮捕され、ノイエンガンメ強制収容所に。その後、ザクセンハウゼン強制収容所のヴィッテンベルク支所に移され、看護の知識があったため囚人病院で働かされた。そこで彼は同性愛者を示すピンクのワッペンを、秘密裏に、政治犯がつける赤いワッペンに交換する。これにより最底辺に位置づけられた同性愛者の境遇から脱することができたが、ポーランド人捕虜の食事量を減らせという命令に背き、アウシュヴィッツへ送られる。アウシュヴィッツにいる間、ポーランド人のズビグネフという青年と出会い、恋に落ちる。1945年に釈放されるも、ズビグネフの消息を知ることはできなかった。数年後、175条に触れるとして再び逮捕され、その裁判で、ナチ期に彼に有罪判決を下した同じ判事と対面する。その後、数回にわたり補償を要求したが、受理されることはなかった。ズビグネフとの再会はかなわず、失意のまま2003年に他界。

  • ピエール・ジール Pierre Seel
    1923年-2005年

    フランス生まれ。自分の性的指向を家族に秘密にした。関係を持った男に時計を盗まれたので警察に届け出ると、警官は彼の性的指向を罵り監視の対象に。1941年5月逮捕されシルメック収容所に。そこで虐待や拷問等むごい体験も。1941年11月釈放されドイツ陸軍に入隊。彼は倉庫の従業員に始まり、百貨店チェーンを経営する迄になり、1950年に収容所体験を隠して結婚。3人の子供を授かるが後遺症に悩まされ、1978年離婚。80年代、ある出来事を機に収容所体験を語り始めると、元妻と子供達はそれを支援。1994年、自伝『Moi, Pierre Seel, déporté homosexuel(追放されたホモセクシュアル)』を発行。2000年にベルリン国際映画祭で本作が世界初上映された際、観客は彼に5分間のスタンディングオベーションを贈った。2005年、10年以上共に過ごしたパートナーのエリック・フェリュを遺して、南仏トゥルーズで他界。トゥルーズとパリには彼の名を冠した通りがある。

  • ハインツ・F Heinz F.
    1905年―?

    姓を明かさず、シルエットだけを条件に証言を承諾したが、撮影開始後考えを変え顔も見せる事に。1905年ハノーファー生まれ。高校卒業後法律を学ぶ。ベルリンのゲイシーンも楽しんだ。突撃隊に勧誘されたが辞退。家族経営の日用品店で働いていた時に逮捕されダッハウ強制収容所送致に。釈放されたが再逮捕されブッヒェンヴァルドに。8年余りを強制収容所で過ごし釈放後ドイツ陸軍に入隊。その8日後に敗戦。ナチスに捕まったゲイやバイセクシャルの男達の殆どが殺された事実を知り、深い悲しみを語る。戦争が終わり釈放された時には40歳になっていた。家族の許へ帰り再びその店で働く。家族に自分の体験を話さなかった。本作は彼が93歳で、体験を初めて語る機会となった。撮影当時はハノーファーとスペインで半年ずつ暮らしていた。

  • アネッテ・アイク Annette Eick
    1909年~2010年

    ベルリン生まれ。両親は家具ビジネスで成功したユダヤ人。日記と詩を書く楽しみを知り生涯の趣味に。レズビアンのナイトクラブが好きで、後に重要な役割を果たす事になる女性ディットと出会う。ヒトラー政権掌握後、ユダヤ人である為に両親の事業は経営が悪化し始め、後に両親はアウシュヴィッツで亡くなっている。1938年11月、彼女達ユダヤの若者は逮捕されるが、逮捕した警官の妻の助けで逃げる事ができた。同じ夜に両親の家具店が焼き討ちに。家具店の焼け跡でパスポートを見つけ、逃げる道すがら受け取ったディットからの手紙には、英国亡命に必要な書類が同封されていた。ロンドンでベビーシッター等をし、文学サークルに参加、移り住んだデヴォンに最初の保育園を開設。1984年に詩集『Immortal Muse (不死の女神)』を出版。2010年百歳で他界。家族で戦争を生き延びたのは彼女だけだった。

  • アルブレヒト・ベッカー Albrecht Becker
    1906年-2002年

    ドイツ中部ターレに生まれる。服飾を学びデパートに勤務。州公文書館館長ヨゼフ・アルバート教授と初の同性愛関係になり、同性愛を理由にゲシュタポに逮捕される1935年迄、10年間続いた。取り調べでゲイは周知の事実だと答え、監禁3ヶ月後の裁判時、起訴事実を否定しなかった結果、収容所に送られなかった。否定した多くの男達はダッハウ強制収容所に。釈放後陸軍に志願。無線通信隊に配属されロシアへ。腕への散弾により除隊し軍病院で治療を受けている時、後10年間を公私共にパートナーとして過ごすことになるヘルベルト・キルヒホフと出会う。終戦後はアートの道へ進み、映画や演劇、オペラの舞台装置のデザイナーとなった。1993年に『Fotos sind mein Leben (写真こそ我が人生)』と題した回想録を出版。2002年、ハンブルグで他界。

  • ガッド・ベック Gad Beck
    1923年-2012年

    ベルリン生まれ。父はユダヤ人、母は結婚後、ユダヤに改宗。生粋のユダヤ人でなかった為収容所送りを免れた。当時にしては驚いた事に両親は彼の性的指向に理解を示した。映画では初恋相手マンフレッドが逃れる手助けをしてくれたと語る。彼と父が留置場に連行されると、母はユダヤ人を夫に持つ女達と共に、後に<ローゼン通り事件>と呼ばれる抗議行動を起こし、彼らが釈放される迄続けた。彼はレジスタンスに関わるようになり、ユダヤ人のスイス亡命を手助けし避難民に食料や隠れ場所を提供。戦争終結3ヶ月前にゲシュタポのスパイに裏切られ移送収容所監禁に。戦後はイスラエルへ移住し独立戦争に参加。1979年、ベルリンに戻ってからはユダヤ人コミュニティの活動に。1999年、自伝『地下生活: ナチ支配下のベルリンに生きたユダヤ人同性愛者の回想録』を出版。35年間を共に過ごしたパートナーのジュリウス・ローファーを遺し、88歳で他界。

  • ハインツ・デューマー Heinz Dörmer
    1912年 – 2001年

    ベルリン生れ。中学に入る頃には友人や、青年運動の仲間との豊かなセックスライフを楽しんでいた。1931年青年運動の地域リーダーとなる。1933年、ナチスが全青年団体にヒトラー・ユーゲントに加入するよう要請。彼の団体は当初それを拒んでいたが、力ずくの脅迫を受け仕方なく加入。1935年、隊のメンバーにより同性愛者として訴えられ、ザクセンハウゼン強制収容所に。その後も他の刑務所や収容所を転々と。映画では収容されている間に目撃した<歌う森>の恐怖について語る。50年代から60年代に刑法175条により繰り返し逮捕され、最後の服役から出所したのは1963年だった。その後ベルリンへ戻り父親が亡くなる迄共に暮らす。政府にナチ迫害に対する補償を要求したが、80年代に入っても受理されなかった。2001年に他界。

聴き手

  • クラウス・ミュラー Klaus Müller
    1959年~

    ドイツ北部ウエストファリア地方の小さな村で生まれ育つ。ミュンスター大学在学中に、両親や同級生たちにゲイであるとカムアウトした。自分のセクシュアリティや社会での位置付けについてもっと知りたいという思いから、同性愛関連の勉強を始め、在学中に<ワイマール共和制期のゲイ男性の(自己)定義>という論文を発表。1992年には米国ホロコースト記念博物館の欧州代表に。その常設展の構想準備段階で、同性愛者の迫害に関する研究と資料編纂を担当する。<アンネ・フランク遺稿: 未完の物語>展の共同キュレーターを務め、同時に、ナチ党支配下のガッド・ベックとその恋人マンフレッド・レヴィンの愛の物語に焦点を当てたオンライン展覧会<Do You Remember When>の制作にも携わった。1993年から2002年にかけて、アムステルダム大学で映画史およびヨーロッパ研究を教える。1996年、ドキュメンタリー『After the War, You Have to Tell Everyone About the Dutch Gay Resistance FIghters(戦争が終わった今、オランダでの抵抗運動で闘ったゲイ達について、語らなければならない)」の監督、1999年、映画『But I Was a Girl: The Story of Frieda Belinfante(だが、私は女性だった:フリーダ・ベルインファンテの話)』の助監督、2017年には、映画『Family Is…? A Global Conversation(家族とは: グローバル・カンバセーション)』の監督を務めた。これらはすべて同性愛をテーマにした作品である。2005年、『オランダのゲイとレズビアンの抵抗運動闘士の肖像』、『ナチによる同性愛者迫害に関する最新研究』の2冊の著作を出版。彼は、LGBTの人権に関する議論を世界的なレベルで進めていくことを目的に、2013年に創立された<ザルツブルグ世界LGBTフォーラム>の創立者兼理事長であり、2009年からは<国際ホロコースト追悼同盟(IHRA)>への米国国務省代表団の一員を務め、2018年にはIHRAの<ホロコースト・ジェノサイド・人類犯罪委員会>の委員長を務めた。また、2010年より、<ザルツブルク・ホロコースト・ジェノサイド教育イニシアティブ>の理事長を務めている。

監督

  • ロブ・エプスタイン Rob Epstein

    監督、脚本家、プロデューサー。1987年以降、制作パートナーのジェフリー・フリードマンと共に、テリング・ピクチャーズ(Telling Pictures)にて、ノン・フィクションと物語映画の垣根を超えて活動。監督作はサンダンス、ベルリン、ヴェネチア、テルライド、トロント、ニューヨークなど各国の映画祭で上映されている。アカデミー賞2回、エミー賞5回、ピーボディ賞を3回受賞。

    長編記録映画『ハーヴェイ・ミルク』(The Times of Harvey Milk)で、企画、監督、共同製作、共同編集を担う。同作はベルリン国際映画祭で上映されセンセーションを巻き起こし、1985年度ニューヨーク映画批評家協会賞最優秀記録映画賞を受賞。LGBTをテーマにした映画として初めてアカデミー賞最優秀記録映画賞を受賞し、ゲイをカムアウトした監督として初のオスカー受賞者に。2008年、国際記録映画協会より、生涯功労賞としてパイオニア・アワード受賞。2018年、サンフランシスコ映画協会より映画界への功績を称えられ、フリードマンと共にジョージ・ガンド3世・クラフト・オブ・シネマ賞を授与されている。フレームライン(1990年)、アウトフェスト(2000年)、プロヴィンスタウン、それぞれの国際映画祭の功労賞を受賞。フリードマンとの共著に“The Art of Nonfiction Movie Making”(Praeger刊、2012年)あり。

    主な監督作

    1984年 『ハーヴェイ・ミルク』 1985年アカデミー賞最優秀記録映画賞他多数 日本公開1988年
    1989年 “Common Threads: Stories from the Quilt” アカデミー賞最優秀記録映画賞
    1995年 『セルロイド・クローゼット』 エミー賞監督賞受賞 全米公開1996年 日本公開1997年
    1999年 『ナチ刑法175条』 ベルリン国際映画祭最優秀記録映画賞+審査員特別賞他多数
    2002年 ”Underground Zero ”サンフランシスコ映画批評家協会賞
    2018年 ”End Game” 2019年アカデミー賞候補
    2019年 『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』 2021年グラミー賞最優秀音楽映画賞他多数
  • ジェフリー・フリードマン Jeffrey Friedman

    ロブ・エプスタインとの最初の仕事は『ハーヴェイ・ミルク』のコンサルティングだった。1987年、エプスタインと共に製作会社テリング・ピクチャーズ(Telling Pictures)を設立。PBSテレビの記録映画番組“Faces Of the Enemy”(1987年)を皮切りに、数多くのテレビの記録映画番組の編集、共同演出を担う。アカデミー賞にノミネートされた短編記録映画“Kings Point”では編集を担当。ロブ・エプスタインとの共同監督作品“End Game”(2018年)がアカデミー賞最優秀短編記録映画賞にノミネート。2018年、サンフランシスコ映画協会より映画界への功績を称えられ、エプスタインと共に、ジョージ・ガンド3世・クラフト・オブ・シネマ賞を授与されている。

監督のことば(2005年)

<ピンク・トライアングル>はゲイ・コミュニティのシンボルとして受け入れられてきたが、その歴史と意味は多くのゲイはもちろん、一般大衆によく理解されているとは言えない。アメリカ・ユダヤ人委員会(the American Jewish Committee)の1993年の調査によると、同性愛者がナチス政権の犠牲者であったこと、ましてピンクの三角形が、ナチスが同性愛男性を識別するために使用した紋章であった事実を知っているのは、イギリスでは約半数、アメリカではわずか4分の1しかいなかった。

『ナチ刑法175条』は、映画や歴史書でも殆ど語られなかった歴史を追究する。なぜ、迫害され殺された何万人もの人々の経験が、歴史から排除されてきたのだろうか。ゲイとして、ユダヤ人として、我々が個人的にこの問題に関心を抱く明確な理由があった。まだ生き証人がいるうちに、できる限り記録を残しておきたいという特別な緊急性を感じたのだ。そしてフィルムメーカーとして、この物語が持つ“曖昧さ”に関心を抱いた。同性愛の犠牲者がいて、同性愛のレジスタンス活動家がいて、同性愛のナチスやナチスのシンパがいた。ナチスは一貫して同性愛者を迫害していたが、ナチス反対派は、ナチス高官のひとりが同性愛者だった事実を利用して、「ナチスは皆同性愛者である」と繰り返し宣伝した。当時、迫害を逃れた同性愛者はどうやって生き延びたのか?何が、ある人を英雄にし、ある人を悪役にするのだろう?そして、なぜ私たちの多くが、人間の経験のグレーゾーンを不快に感じるのだろうか? 本作が、こうした疑問を観客自身が自分で解きほぐすきっかけになってほしい。また、本作により、ゲイとレズビアンの平等な権利を確保し擁護することが、あらゆる人の人権を確保し擁護することに繋がる、ということを理解していただけるよう願っている。

コメント

  • 同性愛者である僕に、
    自身の性と迫害の恐怖の隣り合わせを、
    生々しく感じさせてくれました。

    「今は大丈夫」「僕は大丈夫」と思っている僕に、
    生き残ることの意味を、
    考えさせてくれました。

    その後を生きたその人を、
    たくさんの人に観てもらいたい映画です。

    南和行 (同性愛者・タレント弁護士)

  • ナチスに迫害された同性愛者たちは、久しく世に隠され、「忘れられた犠牲者」であった。
    歴史には、想起と忘失をめぐってさまざまな権力と思惑がはたらく。
    彼らが私たちの前に姿を見せ、あの時代を語る。
    ドキュメンタリー映画の真価である。

    弓削尚子 (早稲田大学教授・ドイツ史)

  • 当事者の語りに耳を傾けさせるだけでなく、
    当事者がなぜ語れなかったかに思考を巡らせ、
    当事者の語られなかった声までも想像させる。
    この映画は「当事者の語り」との多角的な向き合い方を実現させる。

    児玉美月 (映画文筆家)

  • 1999年の製作時とは異なり、2024年の現在、ナチス時代に同性愛者が迫害対象になった事実は広く知られている。けれども、迫害を生き延びた人々が半世紀を経てなお、言葉を失って凍りつき、お前に何がわかると取材者に憤りを爆発させ、あるいは自らの被害を「恥」と思ってきたと絞り落とすように口にする様子を目にするとき、私たちは、収容所の閉鎖やナチス・ドイツの終焉をはるかに超えて長く続く差別と暴力のトラウマを生きる身体を通じて、その事実の片鱗に触れることになる。製作当時の証言者の全員がすでに他界されている現在、本作が記録したその人々の晩年の語りにあらためて耳を傾け、考える時間を持ちたい。

    清水晶子 (東京大学大学院 教授)

  • ドイツ刑法175条が100年以上続いたことの重さ。
    ナチ時代以降も男性同性愛は処罰された。
    (ニュージャーマンシネマのファスビンダー(1945年生)も対象だった…)
    だからこそ本作で自らのセクシュアリティを恥じることなく
    堂々と語る人々の姿は貴重だと思う。

    渋谷哲也 (日本大学文理学部教授)

  • 一見自由でありながらも、マイノリティが少しでも規範をはみ出すと、マジョリティだけではなく同じマイノリティからも袋叩きにされる。今の日本の状況は、ナチス前のドイツとそっくりだ。
    ここに記された痛ましい過去が、自分たちの未来になる可能性が全く無いと、誰が言えるだろう?

    サムソン高橋 (ゲイライター)

  • 同性愛者のコミュニティにおける青春がナチスの弾圧によって引き裂かれていく
    本作は、当時の惨禍を語ることの難しさに思いを巡らせながら、当事者の記憶を紡ぐドキュメンタリーであり、民主主義の揺らぎが世界的な趨勢となっている今だからこそ観ておきたい作品である。

    神谷悠介 (大阪公立大学人権問題研究センター 特別研究員)

  • 記録から抹殺されてきた事実の片鱗に触れる。
    生涯癒える事のない心の傷を負い、封じ込めていた壮絶な人生を語る姿を決して見逃してはいけない。
    愛が語られるからこそ、ナチスの非道な行いの残酷さと迫害対象になった人々の心の喪失感が生々しく、胸を深く裂かれる。

    テラシマユウカ (13人組女性アイドルグループGANG PARADE)

  • 社会の空気が変われば、同性愛者の自分はいつ殺されてもおかしくない。
    ずっと分かっていたことが、地獄を生き延びた先人たちの貴重な証言で胸に刻まれていく。
    揺れ動く時代の中で人が誇りを持ち続けるために、この残酷な歴史と、それでも奪うことのできない想いを知ってほしい。

    ブルボンヌ (女装パフォーマー)

  • この映画は、刑法175条の下で同性愛者が逮捕され、刑務所や強制収容所に送られ、処刑を含む惨い扱いを受けたかを伝える、人類の歴史に刻まねばならない生存者の証言を記録する。同時に同性間性行為を処罰する法を持つ国が70近くある、人類の現在をも告発している。

    風間孝 (中京大学教員)

上映情報

地域 劇場名 公開日 備考
東京都 新宿K’s cinema 2024/3/23(土)〜

3月23日(土)~29日(金)の上映時間 10:00/12:00
3月24日(日)10時の回は『ハーヴェイ・ミルク』上映
3月30日(土)~4月5日(金)の上映時間 12:30/14:30
3/31(日)14時30分の回は『ハーヴェイ・ミルク』上映
4/6(土)~4/12(金)の上映時間 12:20

公開記念トークイベント
3月23日(土) 10時の回上映終了後、弓削尚子さん
(早稲田大学教授・ドイツ史)トーク
3月24日(日) 12時の回上映終了後、川口隆夫さん
(本作の字幕担当者)トーク
3月30日(土) 12:30の回上映終了後、渋谷哲也さん
(日本大学文理学部教授)トーク
3月31日(日) 12:30の回上映終了後、青木眞弥
(『キネマ旬報』元編集長)トーク
神奈川県 横浜シネマ・ジャック&べティ 2024/4/13(土)〜
神奈川県 あつぎのえいがかんkiki 2024/4/19(金)〜
北海道 シアターキノ 2024/5/18(土)〜5/24(金)
静岡県 静岡シネ・ギャラリー 2024/4/19(金)〜4/25(木)
愛知県 シネマスコーレ 【近日公開】
京都府 アップリンク京都 2024/5/17(金)〜5/23(木)
大阪府 第七藝術劇場 2024/5/25(土)〜
兵庫県 元町映画館 【近日公開】
香川県 ホールソレイユ 2024/5/24(金)〜5/30(木)
大分県 シネマ5 2024/6/1(土)〜6/7(金)
鹿児島 ガーデンズシネマ 2024/6/2(日)1日限定上映

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